私の実母はいわゆる毒親。私が幸せになることが許せないようで、結婚式にも参列はしてくれましたが、「実家には二度と戻ってくるな!」と言われてしまいました。その後、コロナ禍真っただ中に妊娠が判明し、夫を頼れず初めての出産を迎える私はとても悩みました……。 里帰り中の実母初めての出産と育児で不安だった私は、迷った結果、里帰り出産を希望しました。快く……とまではいえませんが、里帰り出産をすることを認めてくれた実母。普段は口うるさい義母も、妊娠は喜んでいましたし、さすがに妊娠中や産後はやさしくしてくれるのかと思っていました。 しかし、現実はそんなに甘くはなかったのです……。 里帰りしてからは毎日のように「私の予定が崩れて迷惑」「ルーティーンがあるのに……」などとネチネチ言われ続けることに。 唯一良かったことは、無事に長女を出産できたこと。しかし、産院から帰ってすぐに、「里帰りで実家のスペースを貸してるんだから、私からの出産祝いはなくていいわよね」「親戚への内祝いは何にするの?さっさとやりなさいよ」など、母のマシンガントークは炸裂します。なかなか体を休めることができませんでした。 実家から夫の待つ家に帰るときにも、「二度と来るな」というようなことを実母から言われました。口には出しませんでしたが、私も「二度と帰ってくるもんか」と思っていました……。 ただ、さすがの母も、孫はかわいいようで、ときどき連絡をしてくるようになりました。しかし、余計な一言やチクチク言葉が多いので、なかなか私は我が子を実母に会わせる気にはなれず、めったに帰省することはありませんでした。 長女の出産時は心身ともに疲れ果ててしまったので、2人目の時は里帰りしないことに。夫が育児休暇を取ってくれたこともあり、夫婦2人で支え合いながら自宅で赤ちゃんのお世話をしました。上の子をみながらということもあり、体の方は大変でしたが、気持ちの方は落ち着いていた私。実母であっても適切な距離が必要なのだと今は実感しています。時々電話口で孫に会わせろと怒る母ですが、聞き入れる気はありません。実母には一度我が身を振り返ってもらいたいなと願うばかりです。 イラスト/きりぷち ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:佐藤恵
2024年05月30日産後の女性が夫にイライラを感じるという話はよく耳にします。産後の私も例外ではなく、夫が家事や育児をすればするほどイライラが募っていきました。今回は、私の産後の様子と夫へのイライラが落ち着いていった過程についてお話しします。 どうしてイライラするの? 心と体に異変産後、家のことに不慣れとはいえ、夫の一挙手一投足に怒り、夜の夫婦生活なんて考えただけで夫を突き飛ばしたくなる有様だった私。「私はこんなに心が狭かったの? ちょっとイライラしすぎじゃないだろうか?」と、私は自分の感情に悩み、違和感を覚えていました。 そんなとき、自分の体にも異変が起きました。毎晩息苦しくて何度も目が覚めて眠れず、日中には気絶するように突然寝てしまうようになったのです。診察を受けると、なんと鼻にできたポリープが鼻腔を塞いでいたことが判明しました。 病気が判明、ずっと睡眠不足だった!?耳鼻科医によると、ポリープはかなり前からあり、産後の私は過度な睡眠不足になっていたようでした。ポリープ除去には1週間の入院と手術が必要とのこと。 ただ、入院している間、仕事のある夫は1歳3カ月の子どもの面倒を見ることができません。そこで何軒も病院をまわった末に、なんとか日帰り手術をしてくれる病院を見つけ、異変から5カ月後にやっと手術が決まりました。服薬のために断乳し、手術後、私の体調は劇的に回復し始めました。 熟睡と月経の再開で落ち着いた心と体手術のおかけで、睡眠中もきちんと呼吸ができるようになったことに加え、断乳したことで子どもの夜泣きがなくなり、ようやく私は熟睡できるようになりました。さらに産後1年8カ月ぶりに月経が再開。 こうして順調に体調が整っていったある日、ふと気付きました。「最近、夫に全然イライラしない……!」。自分でもコントロールできない夫へのイライラは、自分の本意ではなかったとはっきりと感じました。その後、夫婦仲は自然と改善していったのでした。 今振り返ってみると、夫へのイライラは、ポリープの影響による睡眠不足に加えて、産後特有のホルモンバランスの乱れによるものだったのではないかと感じています。 イラストレーター/大福 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:唐木田幸一児(男の子)の母。出産を機に報道関係の仕事を退職し、現在は専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はブルーレイ収集と寺巡り。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月30日夜中2時ころ、胃の辺りがチクチクと痛むので目が覚めました。胃薬を飲もうと2階の寝室から1階のキッチンに降り、胃薬を服用してしばらくリビングのソファーに座っていましたが、まったく治らずに痛みは強くなるばかりでした。お願い…助けて!!段々とソファーに座っている体勢もつらくなり、うずくまってソファーに寝ていたのですが、あまりの激痛に脂汗が出始め、握っていた自身のスマホで寝室で寝ている夫に電話をしました。しばらくして1階に降りてきた夫に事情を説明、その間も胃痛が治らず、あまりにも耐えきれず、救急車を呼んでほしいとお願いしました。既に深夜から朝方の時刻に近づいていましたが、私の様子を見て慌てた夫が朝イチの受診時間を待っていられないと、すぐに救急車を要請していました。 ◇◇◇ 救急車で運ばれた先の病院で緊急検査と点滴を受け、胃けいれんと診断されました。しばらく痛みが治らず、この状態で帰宅をさせられないと医師の判断で急きょ2泊3日入院。夫の実家に子どもたちをお願いし、入院中に胃カメラや検査を受けましたが、胃には異常なし。「ストレスや疲れを溜めちゃったかな」と医師から言われ、退院後はあの恐怖の痛みが忘れられず、しばらくは食べ物や飲み物にかなり気をつかっていました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/いずのすずみ著者:山内海30代、4歳、7歳の兄弟を子育て中。4歳の次男は先天性疾患あり。専業主婦。趣味はコスメ情報収集。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月28日※当事者の声はさまざまです。あくまで一例として、考えるキッカケになれば幸いです。産後の体形に悩みが……この悩みをどう見る?※クーパー靱帯とは、胸全体を包むように張り巡らされ、乳腺や脂肪を上下から支えている組織。(HEAVEN JapanのHPより引用)しっかり支えてくれるものを■監修: HEAVEN Japan大阪・河内長野市に本社を置く、女性下着メーカー。一人ひとりのココロとカラダに本気で寄り添い、それぞれの思い描く”キレイ”を叶える「適正下着®︎」をコンセプトに、下着やからだのことで悩んだり諦めたりする女性をなくすために商品やサービスを展開。カウンセリング&フィッティングを行う「試着体験サロン」や気軽に商品を試せる「ポップアップショップ」、オンラインでもプロのアドバイザーに相談可能で、どこにいても安心して自分にぴったりの下着に出会えるようなサービスを実現。B~Mカップまでの最大66サイズで適正下着のラインナップを取り揃えている。※この記事は実際に募集したお悩みを記事化しています。(MOREDOOR編集部)
2024年05月21日夫はいつも帰りが遅く、不定休の仕事でした。長男を出産し退院してからしばらくの間、義母がお手伝いのため泊りに来てくれていました。どうぞお帰りください!知り合いもいない私には心強くありがたいと思っていたのですが、2日目には友達に電話して、「もう帰りたいわ」とか「疲れちゃった」とか。「私は1人で子育てしたわよ、今の人は仕事してる旦那さんにまで手伝えっていうのよね」とか、愚痴ばかり。初めての出産で、しかも毎日2時間おきくらいに起きて精神的に不安定な私に聞こえないとでも?もちろん家事をやってくれるのはありがたいですが、そんな聞こえるように言わなくても。遅くに帰ってきた夫にも愚痴を言っていて、ほとほと疲れました。 愚痴を聞くのが嫌だし、そんな嫌々手伝ってもらうのも気がひけるので「ご実家の曾祖父母も大変でしょう。私は大丈夫です」とやんわり伝えて帰ってもらいました。私はやんわり言ったし、正直帰りたかった義母ですから、「あらそう?大丈夫?じゃあ早いけど帰るわね」とさっさと帰っていきました。 ◇ ◇ ◇ 出産してすぐのママは、体も精神的にもケアが必要な時期です。今回のママのように、義母との関係を考え、言葉を選びながら帰ってもらったのは素晴ですね。子どもと楽しい時間を過ごすためにも、ママの心が穏やかであることを願います。 作画/まげよ著者:まりりまん40代、15歳・10歳の母。現在は離婚してひとり親。自分の両親と同居中。
2024年05月19日息子が3、4カ月頃のことです。夜寝る時間がだんだん長くなってきて、夜間授乳の回数は減ってきたのですが、私は蓄積した寝不足と疲労でクタクタでした。アナタが言う!?ある日、久しぶりに友人と会うことに。そこで、私を心配した友人が「夜は眠るようになってきた?」と質問してきました。すると、私より早く夫が「よく寝てくれて助かってるよー」と答えました。産後すぐから7時間しっかり寝ている夫の発言に、「夜1回も起きてないだろー!」と、イライラしました。 ◇ ◇ ◇ 怒りがおさまらず、2人になったときに「夜あなたは起きてないよね??」と思わず言ってしまいました。夫は、「そうだね、もう俺は答えないよ。」と言うのです。いやいや、そういうことじゃないのよと呆れてしまいました。作画/さくら著者:猫田むぎ30代、0歳男の子ママ。育休中。ライブや国内旅行が趣味。
2024年05月13日産後の体型変化は、多くの女性が直面する悩みの一つでもあります。そんなときに、大切な人から優しい言葉をかけてもらったら、そこで今回は、「悩んでいるときに言われた素敵な言葉」をご紹介します。※当事者の声はさまざまです。あくまで一例として、ご参考にして頂ければ幸いです。Rさんの場合産後、以前のような体型になかなか戻らず悩んでいた私。垂れてしまった胸や、なかなか腹筋の割れないお腹にコンプレックスを抱いていました。そのことをパートナーにと伝えたところ、「頑張ってるのは分かっているし、今でも十分綺麗、素敵だよ」と言ってくれました。その言葉を言われたときの気持ちは?「今も昔も愛してくれてるんだな、素敵すぎる、幸せだな」と思いました。今の自分でもパートナーは素敵だと思ってくれているけど、頑張ればさらに素敵になれると思って前向きに考えています。(25歳/専業主婦)少しの言葉で体型にコンプレックスを抱いていたRさん。パートナーの言葉によって、前向きな気持ちになれたようですね。みなさんも、誰かの一言が心に残った経験はありませんか?※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。(MOREDOOR編集部)
2024年05月12日心配性で産後も不安が尽きなかった私は、産後の手伝いに来ていた母に「赤ちゃんがかわいそう」といわれることがストレスに。ことあるごとに「かわいそう」と言われ、ストレスもマックス。そんな中、夫のひと言で気持ちがラクになったのです。 私の心を軽くした夫の言葉とは 昔から極度の心配性だった私。「無事に生まれてきてくれるかな」と不安ばかりの妊娠生活を送っていました。元気な男の子が生まれてひと安心だったのですが、産後は「どうして泣き止まないんだろう」など不安に襲われることが多くなったのです。事あるごとにオロオロする私。夫はそんな私に「大丈夫だよ」と言ってくれていたのですが、不安はつきません。産後は県外に住む実母が、2カ月ほど手伝いに来てくれていたのですが、そんな私に呆れた様子でした。 あまりにも心配ばかりする私に、母は「そんなに心配ばかりして……赤ちゃんがかわいそうじゃない!」とひと言。その日を境に、母は「かわいそう」と連発するようになりました。私は母の「かわいそうに」を聞くたびに、私が息子にかわいそうな思いをさせているのではないか……と、追い詰められていったのです。 「かわいそう」攻撃が始まって1週間ほどたった深夜、息子が急に泣き出しました。母と夫は2階で就寝中。私は1階のリビングやキッチンを歩き回り、息子をあやしていました。すると、息子の泣き声で目を覚ました母が降りてきて「まぁ、こんなに泣いてかわいそうに」と言ったのです。そのひと言に私は思わず「かわいそうって言わないで!」と怒鳴り、息子に負けない大声で泣いてしまいました。 すると、騒ぎを聞きつけた夫が2階から降りてきて「この子は世界一幸せな子です。こんなにも母親に愛されているんですから」とひと言。思わぬ夫の言葉に「悪かったわね……」と母は気まずそうにしていました。夫が私の気持ちを代弁してくれた気がして、うれし涙を流した私。それ以来、母は「かわいそう」という言葉を封印してくれました。気持ちに余裕がないときは、何気ないひと言もネガティブに受け止めてしまう人も多いと思います。この経験を通して相手に「かける言葉」には気をつけないといけないな、と感じました。 作画/yacco 著者:田所みさお
2024年05月07日私は夫の転勤先だったイギリスで長男を妊娠・出産しました。日本にいた私の母は、海外で初めての出産となった私を心配し、1カ月間イギリスの自宅へサポートしに来てくれることに。私は家事や初めての育児を母に手伝ってもらいうれしかったのですが、夫は母との慣れない同居生活にストレスがたまったようで……。唐突に始まった新生児と母との生活母がイギリスに到着した次の日に、私は長男を出産。イギリスでは出産翌日の退院が一般的で、翌日から生後1日目の新生児と、母との同居生活が始まりました。同居生活が1週間ほど経過したころ、明らかにイライラしている夫に気づいた私。 聞くと、夫は母との慣れない同居生活に気疲れしていました。また、長男にイギリス流のお世話をする私たちに対し、母が良かれと日本流のアドバイスをすることにも、強くストレスを感じていたとのこと。 実際私も、「このアドバイスは違うな」と思うことはありました。夫は我慢してくれていたのですが、私は長男のお世話による寝不足で疲れすぎていて、解決を先延ばしにしてしまったのでした。 無言で出ていった夫…同居から約2週間たった週末の朝、何気なく夫に育児用ミルクのあげ方をアドバイスしていた母。すると母に注意され明らかにムッとした様子の夫は、バタン!とドアを閉め、無言で家を出て行ってしまいました。私は夫の行動にショックを受けながらも、母に今まで夫が抱えていた気持ちを打ち明けることに。 母は「私も口を出しすぎかもと思っていたの、ごめんね」と理解してくれました。夫は夕方に「友人と出かけている。夜に帰る」とやっと連絡をくれ、20時ごろ落ち着いた様子で帰宅。 その後私たちは、母に「アドバイスはうれしいが、私たちはイギリスの方法で長男を育てたい」と伝えました。私たちの気持ちを尊重してくれた母は「イギリスの方法で一緒に頑張ろう」と言ってくれ、以降、母と私たちは穏やかな雰囲気で過ごすことができました。 私は初の出産や長男のお世話に気を取られ、プチ家出させるほど夫を追い詰めてしまいました。他人同然の私の母との同居に戸惑う夫への気遣いが足りなかったと反省しています。家族といえども、気持ちをしっかり言葉に出して伝えることの大切さを、改めて実感した出来事でした。 著者:濱田よし
2024年05月05日■産後から妻の様子がおかしい…■妻を喜ばせようとしたら…妻のご機嫌をとるためケーキを買ってきたものの、裏目に出てしまいさらに妻を怒らせることになってしまったゴロウ。妻と仲良く過ごしたくて、何か手を打とうと考える姿勢はいいと思いますし、妻を喜ばせようとする気持ちも分かります。しかし、まずはネットに頼るよりも、目の前の妻に目を向けて欲しいですね…。少なからず、母乳のために食べたいものを我慢していることは以前に伝えているのですから、そういう言葉はきちんと覚えておいて欲しかった…!次回に続く「体調悪い詐欺夫」(全26話)は17時更新!
2024年05月05日第1子を出産して3カ月ほど経ったころの話です。慣れない育児の疲労、寝不足に加え、ある日、私は体の関節や骨が痛いなと感じるようになりました。腱鞘炎、腰痛、謎の痛みまず痛くなったのは腕から手首にかけてで、私は慣れない新生児の抱っこ、授乳の姿勢などが原因だと思っていました。湿布やサポーターをしながら姿勢に気をつけることで軽減されましたが、次に襲われたのは腰を中心に背中からの骨の痛みです。 日がたつにつれ全身の骨が痛くなっているように感じ、「ヘルニアとかだったら大変だから病院に行ってみたら?」という夫の言葉もあり、私は整形外科へ向かいました。 レントゲンをひと通り撮ってみた結果整形外科で腰を中心にレントゲンを撮りましたが、特に異常はなし。先生によると、「産後、急に筋肉を使うようになり、無理な姿勢も増え、その結果として痛みが出たのだろう」という診察結果でした。 骨や神経に悪いところは見られないので、病院に通って筋力をつけるようなリハビリをしていくか、もしくは普段の生活で気をつけていくかのどちらかになるとのこと。 ひと安心とはいえショック…骨がきしむような感覚が抜けない中、「異常なし」と言われ安堵しましたが、「運動不足からくるもの」だとわかり脱力……。まだ生後3カ月の息子を長い時間預けながらのリハビリは、授乳時間もあり現実的ではなかったので、私は家で何かできないかと考えました。 育児には筋肉をたくさん使う動きが多いのでは?と思った私。それならと、私は息子を抱っこしながらスクワットしたり、ストレッチをしたりと家の中で育児をしながら軽く運動をするようになりました。 息子を連れて散歩に出かける機会も増え、私も動くようになり、さらに仕事に復帰すると体の痛みはほとんどなくなりました。息子のためにも、これからも少しずつ運動をして、元気な体でいたいと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:畑野ナツミ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日息子が生まれたばかりのころの話です。里帰り出産をした私は、実家から近い祖父母の家で1カ月ほどお世話になっていました。そんなある日、祖父が何気なく放った言葉に私はとてもショックを受けてしまいました……。 祖父の何気ない一言そのころの息子はよく泣く子だったので、泣き始めてすぐは様子を見ているようにしていました。息子を抱き上げた祖父は、「こんなに泣いているのにママに抱っこしてもらえないなんて、かわいそうに」と言ったのです。 私にとっては初めての子育て。泣いている理由もまだわかりませんでした。 祖父にも悪気はなかったと思いますが、そのときの私は産後で心身ともにボロボロの状態。その一言が割れたガラスのように心に突き刺さってしまい、ショックでぼう然……。その後、そのまま別室に行って、しばらく一人で泣いていました。 後日、夫が私の祖父母の家に来たとき――。 息子を夫に任せ、私はのんびりとお風呂へ。私が入浴してからしばらく経つと息子はぐずり出してしまい、いくら夫があやしても私が戻るまで泣き続けていました。 そのときにも祖父は「かわいそうに」「やっぱりママじゃないとダメなんだ……」と夫と息子に対して言ったそうです。今度は、夫が祖父の言葉にひどくショックを受けていました。 私たち夫婦は、2人で協力して子どもを育てていこうと約束していました。もちろん性差はありますが、「ママじゃないとダメ」「パパじゃないとダメ」ということはできるだけないようにしていくつもりだったのです。 今回のことで、祖父のような近しい存在でも、子育てに対する考え方が違ったり、何気ない言葉で傷つけてしまったりすることがあると気づかされました。子育てをしていく過程では、大小あれどこのようなことはまた起こるのかもしれません。私たち夫婦は、この出来事をきっかけに改めて話し合いました。そして、アドバイスは参考にしつつも、人の言葉に惑わされず、息子に合った育児スタイルを確立させていこうと心に決めました。 イラスト/ふくふく著者:松本 ロイ子
2024年04月30日産後、初めての子育てがうまくいかず悩んでいました。母から思いもよらぬ答えが…更に産後のホルモンの乱れと体の傷が酷く精神的にまいってしまい、なかなか娘をかわいいと思えない時期がありました。そして、授乳もなかなかうまくできず困っていました。すべてがうまくいかず、母性というものがわからず実母にそのことを相談しました。すると「母性がないから出ないんじゃない?」と言われ大変ショックを受け、泣きながら授乳をしていました。 体が治った今思うと、体がズタボロだったのでかわいいと思える余裕がなかったんだと理解できました! 今はすごくかわいいです。「母乳も最初から出る人は稀で、頻回授乳することで母乳が出るようになるから、“母性がないから”という酷い意見は聞かなくていいんだよ」とそのときの自分に伝えたいです。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが乱れ、疲れもあり気持ちが不安定になることがあります。出産の疲れも癒えぬまま、初めての育児に心が落ち着かないのは不思議なことではありません。そんな状況で心無い言葉を言われてしまうと、どんなささいなことでも気にしてしまいますよね。つらいと思ったときは絶対に無理をせず、行政や周りに頼ってみてください。ママの心が平和であることを願います。 ※産後3~10日のママが発症する「マタニティブルーズ」は産褥期の生理的な現象で、症状は産後2週間ほどで自然に治まると言われていますが、マタニティブルーズが悪化し、産後うつ病に移行するケースも少なくありません。産後うつ病の予防には早期対策が重要です。気になる症状や育児に関する不安がある場合は、早めに医師に相談しましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/てる子著者:岸根恋20代、0歳の娘を育てる新米ママ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月28日長男を妊娠中、後期つわりに苦しめられた私。出産してようやく胃の不調から開放されると思っていたのですが、産後も同じような症状が続いたのです。今回は妊娠中から産後約1年もの間、私が苦しめられた病気についてお話しします。治らない胃の不調に耐えかねて…妊娠8カ月ころから私は、胃の圧迫感や胸焼けといった後期つわりに悩まされました。そのときは後期つわりの症状だとわかっていたので、出産までの我慢だと思い、食事の量を調整しながら耐えたのでした。 しかし出産を終えても、同じような胃の不快感に悩まされる毎日。育児や授乳で体力を奪われていく中で、胃の不調が続き食べられる量が減ってしまい、体重も落ちてしまいました。そのため体力低下や貧血にも悩まされ、私はこのままではいけないと思い、産後10カ月のころ消化器科のある病院で胃カメラの検査をすることにしたのです。検査の結果、私が診断された病名は「逆流性食道炎」でした。病院の先生いわく、後期つわりで発症した逆流性食道炎が産後も治らずに、長引いてしまっているのではないかということでした。 そして授乳に影響のない薬を処方してもらい、それを服用してからは1カ月ほどで症状が治ったのです。おかげで食欲も回復し、体力低下や貧血の症状も改善して、健康的な毎日を送れるようになったのでした。 今回のことで、後期つわりが出産後も逆流性食道炎として長引いていたとは思ってもみなかったので驚きました。そしてそのうち治るだろうと放置せずに、病院でしっかりと検査をすることの大切さを身に染みて実感したのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:水沢 雫監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日長女を帝王切開で出産した翌日の話です。 そういうつもりじゃないんだろうけど…1人の看護師さんに「普通に産めなくて残念だったわね」と言われました。今思えば「破水をして陣痛も始まっていたので、帝王切開に切り替わって大変だったね」「立会い出産の予定だったもんね」という気持ちがあったのかもしれません。しかし、そのときの私の産後のメンタルがグラグラのときで、そのひと言はショックでした。そのときは本当に悲しくて、母子共に無事に出産を終えられただけで十分なのに……と頭を抱えましたが、娘を取り上げてくださった助産師さんに「頑張ったね! 帝王切開も立派な出産だからね」と言ってもらえて心が軽くなり、涙が止まりませんでした。「どんな出産でも命があればそれでいい」と、改めて思えました。 作画/マキノ 著者:中田 音2児を育てる母。育休中。
2024年04月23日上の子を出産後、退院してからは自分ひとりで子育てをしなければならない状況だった私。次第に子どもをうまく愛せないと深く思い悩み、心療内科を受診することに。すると、下された診断はまさの結果だったのです。 なぜ無性にイライラするの?私は現在2児の母親ですが、上の子どもを出産したときは実家との折り合いが悪く、里帰り出産をしませんでした。したがって、退院してからは自分ひとりで子育てをしなければならず、毎日とても必死だったのを覚えています。そんなストレスフルな環境で、上の子どもが1歳半くらいのときから、子どもに対して無性に腹立たしくなってしまうことがありました。 子どもは特にかんしゃくがひどいとか、何か成長に関して大きく気になることがあるといった問題もありません。冷静に考えてみれば、ごく一般的な子どもが、ごくごく普通にママに愛情を求めて泣いたり、自己主張したりしているだけなのに、それだけでもイライラしてしまう自分がいたのも事実です。 2人目もワンオペ。そして精神の限界へ本格的に上の子に対して嫌気がさしてきたのは、下の子を出産したときでした。このときも里帰りはせず、退院直後から3歳になった上の子と新生児をワンオペで見る毎日。もう私の精神も限界に達していたのでしょう。思わず感情的に怒鳴り散らしたり、またある日は突然涙が止まらなくなったり。 そんな状態が下の子を出産して半年。私の情緒は落ち着くばかりか、ますます不安定になっていき、ついに意を決して心療内科を受診することに。結果は「適応障害」と「産後うつ」。おまけに「発達障害の疑いがある」とも言われ、後日心理テストを受けることになったのです。 発達障害を調べるテストを受けた私発達障害などを詳しく調べる検査は2日かかりました。1日目は臨床心理士さんとの面談があり、具体的にどのような家庭で生まれ育ったか、また学業成績など客観的な私の過去のデータについて話したのです。2日目はIQテストや、日常生活においてどれほど困難さを感じるかの自己記入式テストをしました。 2日合わせて3~4時間ほど費やして、精密に検査をしていただきましたが、結果は「発達障害はない」との所見でした。しかし、私の症状や実親からの虐待などの出来事から「愛着障害である可能性がある」と聞かされたのです。 検査を通してわかったこと「愛着障害」とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなど適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。 愛着障害と聞かされたときは「やっぱりな」と腑に落ちる私がいました。しかし、この検査を通して愛着障害と判明したことで、今までの生きづらさの理由がわかり、それを私の子どもたちに味あわせたくないと強く感じたのです。 イライラの理由が明確にわかったことで、これからは自分のつらかった過去とも向き合いながらも、子どもたちを育てていこうと心に決めることができたので、私は検査を受けてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/あさうえさい著者:仲本まゆこ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月11日次男が生後3カ月になるころ、私は2人の子どもたちの育児に追われる毎日に疲れを感じていました。日中は当時2歳でやんちゃ盛りだった長男のお世話、夜は3時間おきの次男への授乳。そんな目の前の育児をこなすのに精いっぱいで、自分は子どもたちにしっかり向き合えていないのではないかと悩んでいました。そんなある日、ショッピングセンターの育児相談で、ある保健師さんと出会いました。兄弟の育児に疲れ悩む日々……次男が生後3カ月のころです。2人目の子どもということで赤ちゃんの扱いには慣れている部分もありましたが、長男と次男では違うところも多くあり、私は次男に合ったお世話の仕方を日々模索していました。 また、当時2歳だった長男と次男は生活リズムがまったく異なり、それぞれに寄り添った対応をしてあげられないこともよくありました。私はそんな日々に疲れ、子どもたちとしっかり向き合えていないと悩むように……。 育児相談で出会った保健師さんの言葉ある日、私はショッピングモールの育児相談に出かけました。そこでは市の保健師さんが来てくれて、子どもの身体測定をおこなってくれていたのです。私はこのとき、子どもたちに向き合えていないという悩みを相談するつもりはありませんでした。解決策などなく、自分が頑張るしかないと思い込んでいたからです。 しかし身体測定の後、保健師さんは私に「ママがきちんと子どもたちに向き合って大切に育てているのが、見ているだけで伝わってくる。お世話しながら自然に子どもたちに話しかけているのがその証拠」と言いました。 自分に自信を持つことができた!私は何も相談していないのに、保健師さんに悩みを解決してもらったような気持ちになりました。「私はただ目の前の育児をこなしているだけじゃない。きちんと子どもたちに向き合えているんだ!」と思えたからです。その日から私は、自分の育児に自信を持てるようになりました。 現在、子どもたちは4歳と2歳。まだまだ2人のお世話に手を焼き、悩むこともありますが、それも子どもたちに向き合えている証拠だと思いながら日々を送っています。 あのとき私に必要だったのは、頑張らなければいけないという思い込みではなく、自分への自信でした。保健師さんの客観的な視点から褒められたことが、私はとてもうれしかったのです。この出来事が、自分はきちんと育児をしているのだという自信に繋がりました。悩みを口に出したわけではないのに、自然に私に自信をくれた保健師さんには今でも感謝しています。 著者:香川えりか4歳と2歳の2児の母。管理栄養士・登録販売者・調剤事務管理士の資格を取得。ドラッグストアで開催されるベビー相談会を担当し、多くのママさんに寄り添ってきた。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月09日結婚前から子どもは2人欲しいねと話していた私たち夫婦ですが、1人目となる娘が生まれてからは職場復帰や転職でお互いの生活リズムも変わり、さらには娘の影響もあって夫婦生活はなくなり……。そんな私たちの一筋縄ではいかない2人目の妊活についてお話しします。夫婦生活が良好だった、妊娠中〜育休中夫と私は基本的には仲がよく、1人目妊娠中から産後も私の体調が無理のない範囲で夫婦のスキンシップを欠かさずにおこなっていました。また、娘の夜泣きや夜間授乳が落ち着いた生後半年以降は、娘をベビーベッドに寝かせて夫婦生活を楽しむこともあったので、まさかしなくなるなんて他人事だと思っていたのです。 2人目は1人目と3〜4歳くらいの年齢差を設けたかったため、積極的な妊活というよりは、むしろ避妊して純粋に夫婦のコミュニケーションとして夫婦生活をおこなっていました。 職場復帰で夜はクタクタ私は娘が1歳になる月に職場復帰をしたのですが、当時の部署には育休から復帰した前例がないため、私だけではなく上司や同僚も初めての連続で慌ただしい毎日を送っていました。仕事と育児の両立は大変で毎日クタクタになって帰ってくるという状態。それでも23時を回る夫の帰りを待ち、晩ごはんを一緒に食べたり、一緒に寝たりして、夫婦のコミュニケーションは大事にしていました。 育休中に比べて夫婦生活の頻度は減りましたが、お互いの休前日や体力に余裕があるときなど月に1〜2回はあったので、ギリギリ“レス”は回避できている、という程度でした。 夫の転職と娘のベビーベッド拒否で拍車がかかり…その後、夫が飲食業に転職することに。居酒屋勤務の夫が働くのは基本的に夜。昼に働く私とはまるですれ違いの生活になってしまったのです。また、2歳ごろから娘をベビーベッドで寝かせようとしても私と離れて寝るのが嫌で起きて泣いてしまうことが増え、夫婦のベッドで添い寝をしないと寝なくなりました。 娘は夫婦のベッドの快適さに味を占めたのかいつも真ん中に寝ていて、夫と私が寝るスペースはベッドの両端にギリギリあるかどうか。これでは到底、夫婦生活を再開できそうにありません……。 欲求不満だけどお互いが納得する形に2人目妊活を頑張ろうと思っていた時期もあったのですが、この状態ではタイミングも取れません。次第に私の生理痛が重くなり、日常生活にも支障をきたすようになったので、まずは期限を決めて生理痛の治療に専念することにしました。 また住宅を購入して引越しが決まるなど、さまざまなことが重なり、今でも夫婦生活はなくお互い欲求不満ではありますが、落ち着くまでは2人目のことは焦らずそのほかのことに専念しようということになりました。 夫婦生活のない日々を更新中ではありますが、幸い夫婦仲は悪くないことが救いかなと思います。まずは引越しとそれに伴う身の回りのことや私の体調が落ち着いたタイミングで夫婦生活を再開して2人目を授かれたらいいなと思います。 著者:金岡莉緒監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日慣れない育児に取り組み「パパ業・ママ業」に一生懸命になりすぎて、いつの間にか「夫と妻」であることを忘れていました。そんな私たち夫婦が、夫婦関係を見直すきっかけになった言葉があります。産後、夫婦喧嘩が増えた出産後、授乳による睡眠不足や慣れない育児による疲れから、ささいなことで夫婦喧嘩が増えたと感じる人も少なくないのではないでしょうか。かく言う私もその1人でした。 食事やお風呂、就寝の時間など生活のすべてが子ども中心で回っているのに、夫が今までと変わらずマイペースに過ごしていると、ついイライラしてしまうことが増えました。 「夫が1番、子どもが2番」そんな私が人から聞いた、目からウロコの言葉があります。それは「夫が1番、子どもが2番」というもの。 子どもはいずれ親から離れて巣立って行きますが、夫は老後も一生添い遂げるパートナーです。「子どものことばかりを優先して夫婦関係をないがしろにするのではなく、愛する夫への思いやりも忘れないようにしましょう」というメッセージが込められた言葉でした。 「パパとママ」であり「夫と妻」その言葉を聞いてから、私は自分の態度や姿勢を反省しました。子どもを優先するあまり、愛する夫との関係をこじらせるなんて……ということに気づいたのです。私は「ママ」である前にこの人の「妻」だったんだ、ということを思い出しました。 そして、夫の気持ちを思いやることの大切さを再認識した結果、夫も徐々に私の気持ちを汲んでくれるようになり、以前よりも絆が深まったように思います。 「夫が1番、子どもが2番」というのは極端な表現で、実際の生活では子どもを最優先にせざるを得ない場面が多々あると思います。そんなとき、私は「夫も子どもも1番」だと考えます。そもそも家族は順位をつけるものではなく、みんなが大切な存在です。そんな当たり前のことを忘れかけていた私にとって、この言葉は大きな救いになりました。 イラスト/(c)chicchimama著者:岩崎薫1年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第2子の妊娠を目指して不妊治療中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月06日子どもの0歳時期にたくさんある、予防接種。「病院に着いてから、抱っこひもで赤ちゃんを抱えながら予診票を書くのは大変だから……」と思った私は、ある良いアイデアを思いつきました! しかし、それがまさかの問題を招く結果に……!?良いこと思いついた!次男を出産した私の前に立ちはだかるのは、生後2カ月から始まる予防接種に、何十枚もある予診票……。長女のときも長男のときも、予診票は予防接種をおこなう病院でその場で書くか、前日に1枚ずつ書いていました。 「それが面倒だったんだよなぁ……」と思い出した私は、「そうだ! どうせもう家は買って住所は変わらないんだし、次男の生年月日や住所、保護者の名前はいっぺんに書いちゃおう!」と考えました。 どうして、産後1カ月の寝不足の状態でこれに取りかかってしまったのか……。 受付職員さんの言葉にがくぜん!何十枚もある予防接種の予診票に、ひたすら次男の名前と生年月日、住所、保護者の名前、出生時の体重など、同じ内容を書き続けた私。最後の1枚を書き終え、「よかった、これで予防接種当日の準備がラクになったぞ!」と思っていました。 そして、次男が生後2カ月を過ぎて初回の予防接種を受ける日、病院に事前に書いた予診票を提出すると「あの……、このお名前と生年月日、もしかしてお姉ちゃんかお兄ちゃんのものではありませんか?」と、申し訳なさそうに受付の職員さんに言われたのです。私が予診票を確認すると、そこには次男ではなく長男の名前・生年月日が書かれていました……。何十枚もある予診票に、長男の情報を書いてしまっていたのです。私はショックな気持ちと同時に、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。 私はすぐに、病院の受付に提出した4枚ある予診票の子どもの情報部分を書き直し、無事に予防接種を受けることができましたが、すべての予診票に長男の情報を書いていて、とても恥ずかしかったです。家に帰ってから、これから使う予定の予診票も、すべて書き直しました。「今後、寝不足で無理して作業をするのはやめよう」と思った出来事です。 イラスト/森田家著者:吉川 みきな監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月29日子どもが生まれたら母乳で育てたいと考えていた私。先輩ママたちから母乳のトラブルは起きやすいと聞いていたので情報を集め、助産師さんに相談して自分で乳頭マッサージをおこなうなど、出産前から自分なりに母乳育児の準備をしていました。準備はバッチリだと思っていたのですが、実際に授乳を始めると思いがけないトラブルに次々と見舞われてしまったのです。 乳首が切れて授乳できない事態に初めての母乳トラブルは想像以上に早くやってきました。出産後、まだ入院中のことです。授乳する際、子どもの頭を支えて自分の乳首をくわえさせられず、子どもの吸いつきが浅くなってしまい、乳首に傷ができてしまいました。授乳するたびに傷の痛みは強くなり、私は授乳がつらくなってしまったため助産師さんに相談。 すると、馬油を乳首に塗ってラップで覆うと傷が良くなると教えてくれました。乳首の保護をおこないつつ、正しい飲ませ方を助産師さんに指導してもらいながら頑張っていると、次第にうまくできるようになり傷も回復していきました。 乳首に白斑ができる子どもが生後3カ月のころ、乳首の先に白いかたまりができました。少し痛みもあったので助産師さんに診てもらうと、白いかたまりは白斑と判明。マッサージをしてもらうと白斑は取れました。助産師さんによると、白斑が再びできないようにするには、子どもにしっかりと母乳を吸ってもらうことが一番とのこと。 また、私の乳腺は数が多いけれど1本1本が細くてつまりやすいので、もしまたつまったら自分でマッサージをして母乳を搾り出すと良いと教わりました。助産師さんに診てもらうことで自分の乳房の状態を知り、対処できるようになりました。 旅行先でおっぱいがカチカチに!子どもが1歳のころ、家族旅行に行く機会がありました。1日観光をしてホテルに戻り、私は眠りにつきました。真夜中、ふと目が覚めるとおっぱいに痛みを感じたのです。おっぱいを触ってみるとカチカチに硬くなっていました。どうやら授乳間隔が空きすぎて、おっぱいが張ってしまったようでした。 私は慌てて子どもを起こして母乳を吸ってもらおうとしましたが、その日は旅行で疲れたのか子どもはまったく起きる気配がありません。仕方がないので私は自分でマッサージをしましたが、予想以上におっぱいが張っていて搾ると激痛が走るのです。私は痛みに耐えながらマッサージをしてなんとか夜を越しました。 私の場合、授乳期間は1年ほどでしたが、度々トラブルは起きました。しかしその都度、助産師さんにマッサージをしてもらったり、アドバイスを受けたりすることでトラブルを乗り越えることができました。専門家の助けを借りながらおっぱいケアがしっかりでき、満足いく母乳育児ができたと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/Michika著者:小林 睦監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月22日私と夫は、いわゆる“カラダの相性”も良いほうで、出産前は「自分たちはセックスレスとは無縁なんじゃないか?」とさえ考えていました。しかし、帝王切開による出産を終え生活も落ち着いたころ、夫との会話の中で性行為についての話題になりましたが、私は気が進まず……。というよりも、「帝王切開によって感覚が変わったのではないか?」という不安が恐怖となって、なかなか一歩が踏み出せずにいるのです……。長い付き合いの中でも飽きない性行為私と夫は学生時代に出会い、交際期間は10年以上。その間、性行為については悩みやマンネリなどはなく過ごしていました。性行為をすればピロートークで感想を言い合い、してほしいこと、チャレンジしてみたいことなどを真面目に話し合うほど。 長く交際しているとマンネリ化してセックスレスに悩むカップルや夫婦もいるようですが、私たち夫婦はそうしたことには縁はなさそうだなと、出産前は考えていました。 産後の体調は問題なし…だけど疑問が!帝王切開から数カ月が経過し、現在は日常生活に影響する痛みなどはありません。しかし、手術の影響なのか、傷口の感覚があまりない状態が続いているので、性行為をするときどうなのだろうかと疑問を抱いていました。 そしてあるとき、近所に住むママ友と夫婦生活の話になり、ママ友が「自然分娩で産後に1〜2回ほど性行為をしたけど、産前と感覚が大きく変わっていてとても驚いた」と話していたのです。 変化した性行為への気持ちどのように変わったのか詳しく聞くと、産前より快感が得られなくなっていたようで、それ以降は性行為をせずにいるそうです。 もし、私も感じなくなっていたら? むしろ不快感が出てきたら? こうした不安から、私は夫との性行為に臨むことができなくなりました。一度、性行為をすることで答え合わせができますが、それも怖くて勇気が出ないままです。 もともと、夫は子どもを2人以上希望しているため、その希望を叶えるなら答え合わせをしなければなりません。幸いなことに、性行為への私の心境を話すと、夫は理解を示してくれました。しばらく我慢してくれている夫のためにも、勇気を出して性行為をしてみようと思いますが、それはまだ先になりそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:たなか かな
2024年03月08日私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気づいた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫? 疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた生気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら……娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶ預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小川恵子8歳と5歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2024年03月08日長女を出産したときは初めての育児でバタバタしていたせいか、産後すぐに体重が戻った私。次女を妊娠したときも、産後はすぐに体重が戻ると思っていました。ところが次女出産後、3カ月経っても体重が一向に減らず、焦ってダイエットを開始しました。すると、体にある異変が起きてしまったのです。 産後は授乳の影響で体重が元に戻る?長女を出産したときは初めての育児でわからないことも多く、バタバタしていたこともあってか、産後2カ月ごろから「痩せたね」と周りに言われることが増えました。その後、産後半年くらいで妊娠前の体重に戻り、さらには妊娠前の体重よりも少なくなりました。 ありがたいことに母乳がよく出ていたので、母乳のおかげで体重が元に戻ったのかもしれないと思っていました。そして翌年には、次女を出産。また半年くらいで体重が元に戻ると軽い気持ちでいたのですが、今回は違いました。 体重が元に戻らない! 運動をスタート2人目で余裕があったからかわかりませんが、次女を出産してから3カ月過ぎても体重が元に戻りません……。「産んだあとは、自然と体重が元に戻る」と安易な考えでいたため、焦りました。とりあえず買い物がてらにウォーキングをスタート、ダイエットDVDを買って自宅で運動も始めてみました。 ところが体重が戻るよりも先に、腰を痛め、さらには肩も痛めてしまう結果に……。子育てにも支障が出そうな状況だったため、病院に相談に行くと、「産後にいきなり無理をしすぎです!」と厳しく注意されてしまいました。 焦りは禁物! ゆっくりと体重を戻そう私の場合、普段から運動習慣もないうえに、本調子ではない産後に突然運動を始めたことで体がビックリしてしまったようです。病院の先生からは、「産後、すぐに体重が戻る人もいれば、ゆっくり戻る人もいる」「体を動かすのは、もっと落ち着いてからにすること」とアドバイスを受けました。 「今は体重よりも赤ちゃんを気にしてあげて」と先生は言っていました。赤ちゃんよりも、自分の体重のことを先に考えてしまっていた……と、反省しました。それからは食事内容を見直すなどして、1年くらいかけて元の体重に戻りました。産後に無理は禁物です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※母乳を赤ちゃんに与えていると、それだけでこれまで以上に消費カロリーが多くなります。母乳はママの体の血液から作られているため授乳中に無理なダイエットは禁物です。特に赤ちゃんが生まれたばかりの時期に、増えた体重を無理やりもとに戻そうとすると、母乳の出方にも影響します。 ※妊娠中に体重が増えてしまったとしても、産後に極端に食事を制限したり、無理な運動をするようなダイエットをする必要はありません。母乳を赤ちゃんに与えていると、それだけでこれまで以上に消費カロリーが多くなります。ダイエットは、授乳期間が終了してからにしましょう。また、体重は産後3〜4カ月程度でもとの体重に戻ることを目標にしながら、授乳期間を過ごしましょう。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/きょこ著者:深田ようこ
2024年03月06日息子が1歳になったばかりのころ、夫が海外に赴任しました。私と息子も夫に着いて行く予定なので、両親や友人、会社に伝えたのですが、数人からは予想外の反応が飛び出しました。あまりにも想定していなかった反応に、当時の私は思わず困惑してしまったのですが、今回はそのときの体験談をお話しします。周りから印象が良くない国私の親はアメリカやイギリス、オーストラリアなどが「普通のきちんとした国」であって、夫が転勤することになったA国は普通ではない国という認識でした。特に日本人からすると印象の悪い国ということもあり、周りにA国へ行くことを伝えると、あまり良い反応はしてもらえませんでした。 心配してくれているのかもしれませんが、「空気や町が汚いから〇〇病になる」「民度が低くて治安も悪いらしい」など不安を煽るような、ネットで見ただけの悪い噂話をされることがとても多かったです。 「子どもがかわいそう」のオンパレードA国の悪い噂を聞かされたあと、周りからかけられた言葉が「子どもも一緒に連れて行くの? かわいそう……」でした。「空気が汚いから子どもが病気になるかもしれない、それでもいいの?」「子どもを連れて行くのは親のエゴ」「言葉も通じなくてお友だちもいないところに行くなんて、子どもはかわいそうだね」という心ない言葉を次々にかけられました。 息子を誰よりも一番に愛している私は、子どもを海外に連れて行くべきかよく考えました。そのうえで出した結論でしたが、周りから言われた言葉を思い出しては悲しくなり、息子に対する罪悪感にも似た感情を拭いきれないまま日本を出国しました。 現地の子どもたちと遊ぶ息子私と息子はA国に到着してからしばらくは、現地の生活になかなか慣れずにいました。公園に行っても、周りで遊んでいる子どもたちを横目に息子と2人で孤立して遊ぶことが多かったです。 ある日、公園に行くと顔は知っているけど話したことのない現地のママさんが、息子に向かって一緒に遊ぼうとジェスチャーを使いながら話しかけてくれました。すると周りの子どもたちも集まってきてくれて、一緒に滑り台を滑ったり、シーソーに乗ったり、追いかけっこしたり! 言葉はわからなくとも、息子は現地の子どもたちと目をキラキラさせながら遊んでいました。今ではお友だちが家に帰ろうとすると、泣いて嫌がるほど現地の子どもたちと遊ぶことを楽しみにしています。 周りから「子どもがかわいそう」と言われ、気にしないようにしようと思っても、どうしても胸に何か引っかかるものがありました。しかし、息子が現地の子どもたちと楽しく遊んでいる姿を見て、かわいそうかどうかは周りではなく、子ども自身が決めることだと改めて気付かされた体験でした。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/ちひろ著者:米久 熊代
2024年03月01日長女が1歳半になる頃、産後から数える程しか身体を重ねることがなかった私たち夫婦。私はいつも長女と一緒に寝ていました。そんな生活も当たり前のようになっていた矢先に、予想もしなかった展開になったのです――。 きっかけはどうであれ長女が歩けるようになり、ドアを開けれるようになると、普段入らない夫の書斎兼寝室に勝手に出入りするように。長女はパソコンや回る椅子などに夢中になり、すっかりその部屋を気に入っていました。ある日、いつものように夫の部屋で遊んでいると、長女はコンドームを収納している場所を発見してしまいました。 長女はコンドームもおもちゃだと思ったようで、並べたり箱から出し入れしたり、私のいるキッチンに持って来て、「どーぞ」としてみたりし始めました。複雑な心境ではありましたが、危なくなければと見守っていました。 その日の夜、長女と私の寝るベッドの横に夫が現れました……。 真面目な顔とも緊張しているような顔ともいえる表情で「これ、したいってこと?」と……。 手にはコンドームを持っていて、それを見た瞬間に事態を飲み込んだ私……。 日中、長女が遊んでいたので、書斎の目立つ所に放っておいたのを思い出し、慌てて「長女が遊んでいたから」という話をしてしまったのですが、私も性欲がない訳ではありません。 ふと、誘ってくれるのは、いつも夫だけど私から誘ってもいんだ……!と、気がついて、長女を寝かしつけた後、夫のベッドに侵入しました。 まさかの出来事からではありましたが、夫婦でセックスレスを解消するいいきっかけになりました。 イラスト/海乃けだま著者:春吉シュリ
2024年02月25日2人目を妊娠中のときの話です。妊娠してからどんどん体重が増えてしまい、かなり体型が丸くなってしまいました。今じゃないでしょ!そんな私をみた夫からは「妊娠中は太るのは仕方ないよ。産んだらダイエットだからね」と繰り返し言われました。産んだら育児で大変なのに、ダイエットなんてできるかな、と内心思って過ごし、その後無事に出産しました。 退院後は、睡眠不足の中必死で新生児を育てる日々です。 そんな中、夫から「で、いつダイエットするの?」とのひと言が。 このひと言で怒りが込み上げ、産後すぐの大変な時期にダイエットをさせることへの非常さを説教してしまいました。 妊娠・出産で見た目が大きく変わってしまい、太ってしまうこともあるかと思います。ダイエットはいいと思いますが、どうか産後すぐに体型戻しを期待せず、長い目でみてほしいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/いずのすずみ著者:片田ゆい
2024年02月22日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2024年02月18日生後10カ月の子どもを育てる私。妊娠前から夫は激務で、朝から晩まで出勤が週6以上、近くに頼れる親族もいないため、ほぼひとりで子育てをすることに。まだ言葉も通じず目の離せない子どもの世話と家事をこなす日々。それでも私が楽しく子育てできるのは、ある目標のおかげなのです!仕事に行かないで!仕事人間で、毎日朝早くから夜遅くまで家を空ける夫。せっかくの休みも職場に呼ばれるなど、プライベートがまったくない状態でした。そんな中、私の妊娠が判明。初めての子どもにうれしい気持ちと、ひとりで子育てができるのか大きな不安がありました。 実際子どもが生まれたあとも夫は仕事が忙しく、ほぼひとりで子育てをすることに。日々の夜泣き対応や気軽に買い物へ行けないことにストレスを感じていました。仕事に行かないで! 早く帰ってきて!と何度もお願いしても、夫は「仕事だから」の一点張りです。 私は良いママになれない?洗濯物も溜まっている、掃除もしなければならないと思ってはいるけれど、子どもを抱っこしたり授乳や離乳食などのお世話をしたりしていると、気づけばやりたかったことが何もできずに1日が終わることも。 夫にコンビニ弁当を買って食べてもらう日や、家事に夢中になり子どものおむつ交換が遅れたこともありました。周りのママは育児も家事も両立させているのに、自分は良いママになれない……と落ち込むことが多くなりました。 新しく立てた目標で自分を褒めるできなかったことを悔やんで落ち込んでも仕方ないと、私は自分自身の目標を立てることにしました。その目標とは「毎日生きること」。家事ができていなくても、子どもが泣きやまなくても、生きていればOK! 当たり前にも思えることですが、あえて目標にすることで家事や育児が思うようにいかなくても自分を褒めることができたのです。その結果、「今日は掃除ができなかったけど、子どもと遊べたから良し!」と、できなかったことを並べて落ち込むよりも、自分を褒める習慣ができました。 ひとりでも子どもをちゃんと育てなければ!と完璧を目指していましたが、目標を最低限に下げました。すると、毎日目標を達成できるので自信にも繋がり、子育てが楽しくなりました! 掃除や洗濯は生活する上で不可欠の家事ですが、毎日しなくても生きていけます。ほぼひとりで生後10カ月の赤ちゃんを育てる私が毎日楽しく過ごせるのは、この目標のおかげです! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/大福著者:鮫島彩美
2024年02月17日私は不妊治療で、やっと1人息子を授かることができました。心無いひと言にショック母は4人をほぼワンオペで育て上げた自負が凄くて、私が育児が大変で体がボロボロだと話したときに「あなたがやってることなんておむつ替えてミルクあげるだけのおままごとと一緒よ。本当の子育ての大変さは反抗期やきょうだいのスケジュールが埋め尽くされたときとかよ!」と言われ、すごく悲しくなりました。 「そうだね」と寄り添ってほしかっただけなのに、価値観が違うなぁと付き合う距離をしばらく置こうと思った出来事でした。 作画/さくら著者:かたやまよしこ
2024年02月12日